2017-09

2015年コロラド州14ersの旅 6日目 Redcloud & Sunshine Peak

2015年7月23日(木) Redcloud & Sunshine Peaks

今日の登山は、Redcloud Peak(14,034フィート=4,277メートル)とSunshine Peak(14,001フィート=4,268メートル)の二つの14ersを一日で縦走するコース(いわゆる「コンボ」)で、全長16.8キロと長めのハイキングとなることから、日の出約1時間前の午前5時07分にトレイル・ヘッドをスタートした。気温は摂氏4度、晴れで風はほとんど無し。

日の出前に出発。今日は右側のSilver Creek Trailへ。
-昨日のHandies Peakと同じトレイル・ヘッドから昨日とは逆方向、Silver Creek Trailを行く-

トレイルはSilver Creekに沿って少しずつ上る。所どころで、雪崩の名残の残雪を越えて行く。
Silver Creek
-Silver Creek沿いに緩やかな上りが続く-

トレイルを上るにつれて、次第に谷の幅が広がり、なだらかな高原に出たところで視界が開けてくる。コロラド・コロンバインなどの高山植物が川端に繁茂する美しいトレイルだ。
広々とした谷を奥に向かって進む
-広々とした谷を奥に向かって進む。まだ日の出前だ。-

Creek沿いに高山植物が繁る美しいトレイルだ
-Creek沿いに高山植物が繁る美しいトレイルだ-

コロンバインの群生
-Silver Creekの川端に群生するコロラド・コロンバイン-

標高約3,960メートルの鞍部直下あたりで、初めて目指す最初の山Redcouldsの頂が見えてきた。ちょうど照らし始めた朝日に赤く輝いている。
目指すRedcloud(赤っぽい頂)が少しだけ姿を現す。ようやく谷間に朝日が差し込む。
-右手奥の赤い山がRedcoulds Peak-

尾根伝いに山頂を目指す。ただし、まず手前の小高い山(a false peak)を一つ越えなければならない。
尾根づたいにRedcloud Peakを目指す。
-尾根を行く-

尾根のガレ場にも高山植物が。
-こんな尾根のガレ場にも高山植物が-

Redcloud Peak直前の山(Fake Peak)にまず登らなければならない。
-Redcloud Peak手前の山にまず登らなければならない-

False peakを越え、いよいよRedcouldsに向かって行く。最後は例によって急なつづら折りの登りとなる。少し上ると、酸素不足で太腿がすぐにだるくなるので、休みながら辛抱強く登っていく。
Fake PeakからRedcloud Peakを望む
-False peakからRedcouldsを望む-

最後の急坂
-Redcouldsへの最後の急坂-

T.H.から7.4キロ、ちょうど3時間で標高4,277のメートルのRedcloud Peakに登頂。
Redcloud Peak頂上にて
-Redcloud Peak頂上にて-

頂上から北を望む。Uncompagre(台形の山)が見える。
-Redcloud Peak頂上から北を望む。14ersの一つUncompagre(台形の山)が見える。-

次に目指すSunshine Peakはここから2.3キロ先ある。見たところ平坦な行程に見える。
これから向かうSunshine Peakを望む
-次に目指すSunshine Peakを望む-

Sunshine Peakへのトレイル
-Sunshine Peakへのトレイル-

ところが、Sunshine Peak手前には、ガレ場となっており、右側は見るも恐ろしい姿の岩がそそり立つ崖になっていた。そこを恐る恐る通過し、最後はやはり急な登りだ。しかも、足場は尖った硬い石がごろごろして踏ん張りが利きにくいガレ場となっている。Redclouds Peakから見た時の穏やかな印象とは随分と異なる、厳しいトレイルだ。
Sunshine Peak手前のガレ場
-Sunshine Peak手前のガレ場-

トレイル右側は見るも恐ろしい姿の岩いわがそそり立つ崖
-トレイル右側の崖-

最後の急な登り
-最後の急な登り-

ようやく標高4,268メートルのSunshine Peak頂上に着く。Redclouds Peakから54分かかった。
Redcloud Peakを振り返る
-Redcoulds Peakからの道を振り返る-

通常の14ers登山ならば、この後は、下山の下りトレイルを軽快に走り下りるだけなのだが、今日の登山は、この先に崖下りの難所が控えていた。
この先に下りルートの難所の急斜面がある
-この先に下りルートの難所の崖下りがある-

お尻を地面につけて何とか崖を滑り降りた後には、一面の石野原の急斜面だった。下ろうとすると全ての石が動き踏ん張れないので、動く石もろとも下りて行かなくてはならない。全て硬く尖った石ばかりなので、擦り傷をいくつか負いながら滑り降りた。Talusという地形だそうで、辞書によれば、Talus:崖の下の、傾斜した浮石のかたまり、とあった。
Talus(崖の下の、傾斜した浮石のかたまり)を滑り下る
-Talusを滑り降りる-

その拡大
-その拡大写真-

Talusに散々苦労させられたあと、ようやく普通のトレイルに達し、ホッとした。
そしてようやく普通のトレイルに達する
-「普通の」トレイルに-

その後は、いつものように、下りのトレイルランを楽しみ、Sunshine Peakから2時間18分で無事T.H.に着いた。全行程約6時間30分の登山だった。

2015年コロラド州14ersの旅 5日目 Handies Peak

2015年7月22日(水) Handies Peak

コロラド入りして5日目の今日、ようやく午前中の雷雨予報がなくなり、Hnadies Peak(標高14,048フィート=4,281メートル)に登ることにした。ただし、午後からは依然として雷雨確率30%なので、日の出とともに出発すべく、3時半起床、5時半に宿を出た。約30分のドライブでトレイル・ヘッドに到着、6時12分にスタートした。
T.H. ここを左へ
-日の出直前のトレイル・ヘッド。Handies Peakへはここから左のGrizzly Gulch Trailへ。-

沢づたいのトレイルを1.6キロ(約20分)ほど上ると、早くも朝日に照らされるHandies Peakの雄姿が見えてくる。ここから先の行程では、常に目指すこの山が正面に見えるのがこのトレイルの大きな魅力の一つだ。
Handiesが見え始める
-T.H.から20分ほどで早くも、Handies Peakが見え始める-

約12,000フィート=3,650メートルで森林限界を超える。目指すHandiesが大きくなってくる。
森林限界
-森林限界-

このトレイルの別の魅力は、高山植物が豊富なことだ。沢の水量が豊かなので、二つの沢が合流する辺りは一面お花畑になっている。今回の旅で初めて、コロラド州の州花のコロラド・コロンバイン(和名:セイヨウオダマキ)を見ることができた。大きなものでは花の差し渡しが10センチにもなる、立派な花を咲かせる。
コロラド・コロンバイン(和名:セイヨウオダマキ)
-右下に、青、白、黄のコロラド・コロンバインの群生が見える-

標高12,400フィート=3,780メートル地点で、トレイルは大きく右(北)へ折れる。ここから頂上までは約2.5キロ、向かって右側へ大きく回って、比較的傾斜の緩やかな斜面から尾根へ上り、尾根づたいに頂上を目指す。
右折地点
-富士山とほぼ同じ高さにある右折地点-

マーモット
-マーモット-

尾根までの上りの途中、かつて氷河が地表面の岩を削り取ってできたモレインという地形の上を行く。
氷河が削り取った石塊(モレイン)を横切り尾根を目指す
-モレインを渡る-

上ってきたトレイルを振り返る
-その辺りからこれまで上ってきたトレイルを振り返る-

その後、傾斜は徐々に急になり、この標高だと、30~40歩ごとに息が切れるので小休止をとる必要がある。
尾根への急坂
-尾根への急坂-

ようやく尾根まで上りきる。
尾根上の様子
-尾根上の様子-

標高4,000メートルを超える吹きさらしの岩の上にも何種類かの高山植物が見られた。
4,000m超の尾根に咲く高山植物
-4,000m超の尾根に咲く高山植物-

尾根伝いに頂上を目指す。14ers登山の最後はいつもガレ場の急坂だ。つづら折りのルートを一歩一歩上る。
最後のつづら折り
-最後のつづら折り-

頂上からは、西方にAmerican Basinの盆地を見下ろすことができるほか、どの方角にも、延々と山並みが続いているのが見える。
頂上にて その1
-西方にAmerican Basin-

頂上にて その2
-南方の峻厳な山々とSloan Lake-

T.H.から頂上まで6.4キロ、2時間45分の行程だった。頂上で7分間休憩した後、再び高山植物を愛でながら爽快なトレイルランを楽しみ、1時間38分かけて午前10時42分にT.H.に戻った。

2015年コロラド州14ersの旅 2日目~4日目

2015年7月19日(日) Ski Hill to Lake Trail

二日目の日曜日は、高地順化のために、宿の近くのトレイル(Ski Hill to Lake Trail)を7キロほど1時間36分のハイキングをした。宿のすぐ裏手が、リフト1基だけの小さなスキー場になっていて、途中その最上部へも登ってみた。
7-19
-宿裏手のスキー場の最上部からの景色-

2015年7月20日(月) Crested Butte


今回登頂を計画している14ersの天気予報が今一つ良くないので、今日は、高山植物が美しいことで有名なCrested Butteでハイキングをすることにした。Crested ButteはLake Cityからクルマで約1時間半ほどのところにある人口約1,500人ほどの小ぢんまりとした街で、今日は、その中で、2つのトレイルでハイキングをした。

まず、一つめはMeridian Lakeへ。トレイル・ヘッドから約20分、急坂を登ったところに、鏡のような湖があった。
Meridian Lake
-Meridian Lake-

ウェブサイトでの情報では、写真右上の小高い丘の上の展望台までいける、とあったのだが、実際には、トレイル途中で私有地となり、立入が禁止されていて、残念ながら展望台へは行けなかった。約3キロ、40分のハイキング。

次に向かったのが、Oh Be Joyful Trailだ。街の観光案内所で、高山植物がきれいなトレイルとして推薦してくれたトレイルだ。幅の広い谷間を、緩やかな傾斜で少しずつ登っていく美しいトレイルだったが、高山植物はどうやらピークを過ぎた後らしく、咲いている花の種類が少ないように感じた。往復約12キロ、上りの累積約300メートル、2時間のハイキングだった。
Oh Be Joyful Trail
-Oh Be Joyful Trail-

2015年7月21日(火) Whitmore Falls & Lake City Downtown

山の天気予報が、午前中の雷雨の確率が30%、とまだ芳しくない。つい最近も、昨年登った14ersの一つMt. Yaleで落雷のために女性ハイカーが死亡するという事故があったばかりだ。相手が4000メートル級の山々なので、少しでも天候に懸念があるときは登山をしない、という十分慎重な対応が不可欠だ。ということで、今日も14ers登山はお預け、今日は、Lake City近辺の観光をすることにした。

まずは、クルマで30分ほどのところのWhitmore Fallsへ行く。
滝までのダートロード
-Henson Creekに沿って、比較的整備された未舗装路を上流へと運転する。-

Whitmore Falls
-Whitmore Fallsは、道路から400メートルほど、トレイルを下ったところにある。-

その後、一旦宿へ戻り、約2キロ離れたLake Cityダウンタウンまでジョギングして、ちょうど開催されていたCraft Fareを見物がてら、街を散策することにした。Lake Cityは19世紀後半に、金、銀、鉛などの鉱山開発とともに栄えた町で、当時の住宅、店舗、教会などの建物が保存されている。
The Hough's House 1877
-The Hough's House 1877。このほかにも多くの歴史的建造物が保存されている。-

Miners & Merchant Bank, Lake City
-Miners & Merchant Bank。この銀行は現在もここで営業している。-

2015年コロラド州14ersの旅 移動日

2015年7月18日(土)
ニューヨーク、ラガーディア空港を朝6時半に発つユナイテッド便でコロラド州デンバーへ向かう。起床は朝3時。約4時間のフライトでデンバー国際空港に到着、現地時間は2時間遅れなのでまだ朝8時半だ。Enterprizeレンタカーでスバル・フォレスターを借りて、デンバー市内の日本食料品店Pacific Mercantileで、ご飯、缶詰、カレー、うどん、インスタント・ラーメンなど、滞在中の食糧を調達する。
デンバーから、一昨年および昨年滞在した、Fair PlayとBuena Vistaを通って、約5時間のドライブで、今回の滞在地Lake Cityに到着した。Lake Cityは、コロラド州南西部に位置する、人口300人の町だ。ここで1LDKのこじんまりとした1戸建てを借りて7月26日(日)まで8泊9日で滞在する。Lake Cityを宿泊地に選んだのは、付近に、Lake Cityファイブと呼ばれる五峰の14ersがあるからだ。
宿泊地の標高は約2,700メートル、日本なら白山の頂上と同じような高さがあり、かなりの高地だ。やはりこのくらい高いと、高山病の初期症状と思われる軽い頭痛も出て、痛み止めのアセタミノフェンを飲んで早目に眠りについた。

「拒否できない日本」 (関岡英之著 文春新書 2004年4月刊)を読んで

著者の嫌米感情が色濃く出た著作だ。たとえば、本書の終結部には下記のような記述がある。

あこぎな競争に躍起となり、ひたすら勝つことばかりに血眼になっている浅ましきアメリカ人よ。いまよりももっと贅沢をしたいのか。これ以上いったい何を望むのか。もう、充分ではないか。わたしたちはつき合いきれない、放っておいてくれ、頼むからこの小さな惑星の静謐を掻き乱さないでくれ。

さすがにここまで激しい怒りの表出にはやや閉口するが、この本はそのような感情論が並べられただけのものでは、もちろんない。著者のこのような怒りにはちゃんとした裏付けがあり、その理路をたどる中で、次の3つの重要な示唆を得ることができた。
1.『年次改革要望書』の存在
2.「日本=事前規制型社会」と「米国=事後調整型社会」という切り口
3.公開情報だけを使っても十分に深い洞察を得られる、ということ

1.『年次改革要望書』の存在
恥ずかしながら、『年次改革要望書』というものがあったことを、この本を読んで初めてを知った。『年次改革要望書』とは、毎年10月に、アメリカ合衆国(以下「アメリカ」)が日本政府に対して通告してくる公式文書で、その内容は、内政干渉ともいえるほどの厚かましい一連の改革要求案から成っている。例えば、2001年の『年次改革要望書』では、対象分野は、電気通信、情報技術(IT)、エネルギー、医療機器・医薬品、金融サービス、競争政策、透明性およびその他の政府慣行、法制度および法律サービスのインフラ改革、商法、流通、と多岐にわたっている(しかも、この中には、「政府慣行」「法制度」「商法」といった日本の社会制度の根本に関わるような項目も含まれている)。それぞれの項目について、市場開放、自由化、規制緩和、非関税障壁の撤廃など、米国の企業や弁護士などが日本市場へ参入するのを容易にするための極めて具体的な要望が列挙されている。その分量は、和訳版で54ページ、400字詰め原稿用紙で200枚を超える分量だ。
なお、この要望書は、日米間で相互に取り交わす双務的な制度、という建前となっているが、日本からアメリカへ提出された要望書は、アメリカからのものの四分の一の分量だ。内容的にどの程度重要な要望をアメリカに対して行っているかは、僕には判断しかねるが、本書によればこの要望書は「外圧の一手段としてアメリカから提案されたもの」なので、腰の入り方が全く違うはずだ。両国の要望書ともに、公開文書なので原文が閲覧できる(Wikipediaに便利なリンクが張ってある)。
この『年次改革要望書』は、宮澤-クリントン会談での合意を受けて1994年に始まり、以来毎年、相互に提出され続けており、日米当局者が定期的な点検会合を開いて進捗状況のチェックまで行われてきたということだ。その後、この『年次改革要望書』は、民主党鳩山政権時代の2008年版を最後に廃止された(それに代わって、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加を要請されたらしいが、これについては要調査)。なお、本書の出版されたのは2004年なので、『年次改革要望書』はまだ毎年提出されていた時期だ。
アメリカの国益を全面に出した大変押しつけがましい要望書で、時に日本の国益に反する内容のものも含まれていたにも拘らず、歴代の日本政府は、むしろ積極的かつ忠実にそれらの要望を実現化していったようだ。したがって、著者は、以下の様に言う。

これから数年後の日本に何が起きているか。それを知りたいと思ったとき、必読の文献がある。アメリカ政府が毎年十月に日本政府に突きつけてくる『年次改革要望書』である。

『年次改革要望書』には、日本の基幹産業や社会制度に関して、政府が本気で取り組む可能性が高い要求案が列挙されており、しかも、それが公表されているのだから、日本国民の多くに関わるはずの重要な文書のはずなのだが、どういうわけか、マスコミは、一度もこの要望書の全文を報道したことがないらしい。

2.「日本=事前規制型社会」と「米国=事後調整型社会」という切り口

「事前規制型社会」というのは、要するに御上の行政指導のもと、業界団体が内輪で利害調整を行い、さまざまな約束事をあらかじめ”談合”しておくことによって、競争から生じる摩擦をできるだけ前もって回避しようとする社会、つまり秩序や協調を重視する日本的社会そのものである。
一方「事後調整型社会」とは、行政による規制や業界による事前調整を一切なくして、誰にも自由にやらせて好きなようにとことん競争させる、それでなにか問題が起きたら、そのとき裁判で争って解決すればよい、とする社会で、自由放任と自由競争を重んじるアメリカ型の社会といえる

まさに言い得て妙、僕が仕事を通じて感じている日米の違いをうまく要約してくれている。仕事上、何か新しいことに取り組もうとする時に、日本の顧客や本社からは、しばしば、いくつかの想定されるシナリオごとに、起こる可能性のある問題とその対応策を予め策定してレポートして欲しい、といった依頼がある。これなど、問題を事前に回避したいという強い意向の反映の最たるものだ。おそらく、心配性と高い抽象的思考能力(つまり、まだ起こっていないことを頭の中で思い描く力)という日本人の傾向のなせる業だろう。しかし、結局、散々苦心惨憺して想定した想定問題とその解決策が、思いもよらなかったことが起きたために全て使い物にならなかった、という結果になることもめずらしくない。なんというエネルギーの無駄遣いか。
一方、アメリカ人が中心になって進められるプロジェクトでは、とにかくやってみて、何か問題があったら、それを皆で全力で解決、その原因を究明し、改善を図って次に進む、という具合に展開していく。
職種にもよるのだろうが、おそらく、大部分の「仕事」については、後者のアメリカ型、つまり、「事後調整型」のほうが結局うまくいくような気がする。そもそも、起こりもしていない問題を「想定」して、しかもその解決策まで「準備」しておく、という発想は、アメリカ人には非常に難しい、というよりも、甚大な無駄・浪費と映るのだろう。仕事上の問題は、起こるまでは問題ではない、という発想がアメリカでは一般的だと思うし、大部分の仕事はその発想でうまく進められると僕も思う。(もちろん、全ての分野で、ということではなく、たとえば災害予防や医療といった、人命が関わるような分野などでは、当然、問題の事前把握・回避に全力を尽くすことにアメリカ人も異存はないはずだ。)
しかし、著者が述べているように、これが、日本の法制という社会制度の根幹について、日本型からアメリカ型に移行せよという要望としてなされる場合は問題だ。法制において、「事後調整型社会」といえば、アメリカ人の間でも相当問題視されていると思われる訴訟過剰社会、ということになる。長年社会に根付いてきた法制を、簡単に変えるべきではない、という著者の意見に賛成だ。

3.公開情報だけを使っても十分に深い洞察を得られる、ということ
著者は、本書で、上記以外にも、様々な分野で進められているアメリカによる日本に対する内政干渉と、それに対して日本政府が嬉々として応じている例を多く挙げている。一見、大国の陰謀や政治の裏側を描いているように見えるが、著者はそのような各種事例を、全てインターネット上や国公立図書館で公開されている公式資料だけを使って入手したそうだ。そして、参照した資料の名前と出所も丹念に記載しているために、それらをもとにした著者の解釈・意見について、読者は、自分自身でその資料に当たって検証することができる。そのために、冒頭に引用したような、やや行き過ぎた感情的表現があっても、さほど僕には気にならなかった。むしろ、その意見の根拠となった資料に自分でも当たってみて、自分なりに考えてみよう、という気持ちにさせてくれる。いくら著者の意見が偏っていても過激でも、この反証可能性が、この本の「科学性」を担保している。

以上のように、日米関係について考えるきっかけと材料を提供してくれた、という点で、この本は貴重だ。とりあえず、『年次改革要望書』に代わって登場したTPPについて自分なりに調べてみたいし、仕事のやり方についても引き続き日々考えていきたい。

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プロフィール

内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。その後、トレイルでのウルトラ・マラソンを経て、今はタイムを気にしなくても良い登山やハイキングを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

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