2017-07

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信号を守らないニューヨーカーたち

毎朝通勤で、グランドセントラル駅から会社まで10分ちょっと歩く。その間、碁盤の目状の街路を6ブロック歩くので歩行者信号のついた横断歩道を7つ渡ることになるのだが、大部分の歩行者が信号を守らない。警察官がいても皆平気だし、注意されるのを見たこともない。大都会の人特有のせっかちさのせいか?ところが、信号が青(実際には、歩く人を象った白色)でも渡らない人もいる。赤でも渡るのは、車が途切れていて渡っても特段危険がない時で、青でも渡らないのは、交差点を曲がって来る車がいたりして危ないような場合だ。つまり、人々は信号ではなく、周囲の危険度合を見ながら横断歩道を渡っているようなのだ。片側4車線、中央分離帯付きの、マンハッタンで一番広いパーク・アベニューを渡る横断歩道には歩行者信号がない。皆、その場の状況から渡れるかどうかを判断しながら渡っている。信号というルールがなくても、特に問題はないようだ。
さて、もう20年も前のことだが、渋谷で、会社の先輩と一緒にある顧客を訪問した際に、ごく短い横断歩道で、いつもはせっかちな先輩が、車も来ないのに赤信号で止まっている。何かの理由で急いでいたので僕が進もうとすると制止して、道の向こう側で信号待ちしている小学生を見やって、「子供の前ではどんなに急いでいても信号無視はしないようにしている。大人が悪い手本となっちゃいけないからね。」と言った時は、なるほどと感心したものだ。日本では、ルールは守る、ということが重要視される。
僕が今働く職場で、上司が部下たちに、ルールはルールだからとにかく守れ、と言ってもなかなか通用しないだろう。そのルールが仕事をする上で必要なものだと納得しない限り、守ろうとはしない。一方、たとえルールとして決めなくても、各人、局面ごとに何をどうしなければならないかを考えながら仕事をしているようで、仕事は結構うまく回っていく。
ある明確に決められたルールの下で、皆が整然とそれに従って行動している、という状況は、一見安定しているように見える。一方、はっきりとしたルールもなく、各人がその都度判断しながら行動している、というのはなんとも雑然としていて不安定な感じだ。しかし、一旦、9.11テロのような非常事態となったときには、そのような社会がその強みを発揮する。非常時には既存のルールが通用しなくなることがままある。そのようなときでも、日頃からルールに頼っていない人々ならば、ルール不在のなかで立ち往生したりパニックになることなく、自らどうすべきかを考えながら行動するからだ。
一方、ルール厳守の尊重は、往々にしてルールへの過信につながる。ルールさえ守っていれば大丈夫だとか、ルールに違反しなければ何をしてもよい、とか。ルールを決める「お上」への盲従といってもよいかもしれない。ルールを進んで破るというのはもちろん論外だが、ルールだけに頼らず、「ルール+自分の判断」を元に行動することを心がけたい。
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内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。今は、トレイルでのウルトラ・マラソンを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

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