2017-11

マラソンの途中で歩くということ

マラソンの途中で歩くなんて、とんでもない根性無しのやることだ、と数年前まで思っていた。
しかし、ロードレースからトレイルランにシフトしてからは、全く逆の考え方に変わった。マラソンの途中で疲れたら歩くにこしたことはない、というふうに。

そもそも、トレイルランでは、絶対に走れないような急な上りや、ちょっとでも躓いたり足首を捻ったりすると大怪我につながるような足場の悪い下りの連続なので、否応なしにコース上で歩くことがしばしばある。そしてレース後半、疲れて歩いている時に、大変良い事が起こるのだ。つまり、疲れが取れて少し元気が出るのだ。走るときに使う筋肉と歩くときに使う筋肉とは微妙に違うようで、走り疲れたときに、しばらく歩くことで、走るときに使う筋肉の疲労が少し回復して、また走れるようになるのだ。考えてみれば(あるいは考えくなくても)、疲れたら休む、休むことで回復するというのは、ごく当たり前のことだ。しかも、止まってしまうわけではないので、歩いてさえいればゴールは確実に近づいてくる。

ところが、これがロードレースだと、僕自身そうだったように、いくら疲れても、歩くことへの抵抗感のためや、追い抜いていく他のランナーたちへの負けん気や、沿道で声援してくれている人たちへの見栄などのために、なかなか歩けないものだ。何とか根性で乗り切ろうとする。自分の精神力の限界を試す、というのも確かにマラソンをする「楽しみ」の一つなのだが、しかし、疲れても走り続けると、そのうち、極度の疲労状態すなわち「壁」に突き当たって歩くのもままならない状態になるし、下手をすれば、肉離れなどの故障にもつながる。

スポーツは、自分の身体との会話だと僕は思う。今の世の中、機械化・IT化が進み、日常生活や仕事から肉体的な活動がどんどん減り、精神的な活動ばかりが増えていく。だからこそ、余暇にスポーツをして、純粋に自分の身体だけと向き合う時間を持つことで、精神と身体のバランスを回復して精神的なストレスを和らげようとする。ところがそのスポーツにまで、ともすれば、強い精神力の発揮を説く傾向がないだろうか。そして多くの場合、この「精神力の発揮」を、きつくても我慢すること、ととらえるきらいがあるように思う。スポーツをする時に、我慢する、ということは、せっかく自分の身体との会話によって感知した「疲労感」を無視しようとすることに等しい。これは、せっかくスポーツをすることで実現できた「自分の身体との会話」を自ら断つ、ということに他ならないにもかかわらず、疲れても走り続けることが美徳とされる。これでは、走ることすらも、精神的な活動の一つとなってしまい、ストレスの解消どころか、ストレスの積み増しといった結果となるだろう。

走り疲れたら歩く、ということを実践するためには、まず、「疲れた」という自分の身体が発するSOS信号を間違いなく受信しなくてはならない。そのために、身体とこまめに会話することが大切だ。
僕 「そろそろ疲れた?」
僕の身体 「ああ、ちょっとね」
僕 「少し歩く?」
僕の身体 「そうしてくれると助かるね」
というような具合に。そして、歩いているうちに、少しづつ疲れが引いていくときの感じも、これまた悪くないものだ。この感覚は、走り続けるだけでは得られない心地よさ、楽しさだ。

そして、この、疲れたら歩く、という発想は、意外にもロードレースでのタイムを縮めるのにも役に立つ。より速く走れるようになるには、やはり、負荷をかけた練習が必要なのは言うまでもない。ある速さ以上を目標にする場合、練習で「無理」をしなくてはタイムは伸びない。ここで大切なのは、「どこまで」無理をするか、だ。日頃から、自分の身体との会話を心がけて、自分の身体が発する「疲れた」という信号を聞き逃さないようにしていると、練習でも、これ以上無理をすると故障してしまうかも、という瞬間を察知しやすくなる。速くなりたい一心で猛練習に励むあまり、自分の身体の限界を超えてしまい、故障して、何週間も走れなくなり、せっかくのそれまでの努力が水泡に帰す、といった苦い経験が僕にもある。疲れたら歩く、という発想があれば、そのような失敗を避けることもできたかもしれない。

ランニングにとどまらず、実生活でも、疲れたら歩く、を心がけていきたい。
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内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。その後、トレイルでのウルトラ・マラソンを経て、今はタイムを気にしなくても良い登山やハイキングを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

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