2017-07

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応援団

ここ1~2週間ほど、急に、いくつかの大学の応援歌のふしが頭の中に去来し、応援団の応援風景をYouTubeなどで見たくなる日々が続いている。なぜこんなことが自分の中で起きているのだろうか。

実は、大学1年生の秋までの約半年間だけ、応援部に在籍していたことがある。ただし、大きな身振り、手振り、声で応援を先導するリーダー班ではなくて、後方で応援歌などを伴奏するバンド班だ。入部の目的は、楽器を吹きたかったから。本格的な管弦楽部や吹奏楽部だと、さすがに、高校までに楽器の経験がないと無理なのに対して、応援部のバンド班はほとんどが楽器初心者だったから、敷居が低かった。僕は、トランペットを担当させてもらえることになり、先輩からの指導を受けて張り切って練習に励んでいた。

応援部では、先輩・後輩それにOBを含めた上下関係が極めて厳格に守ることを強制される。それは、特に、リーダー班において著しい。リーダー班には、同期で3人入部したのだが、練習のときや、応援本番(野球の応援が活動の柱だった)の前後には、先輩部員たちからの罵声・怒声が絶え間なく続く。飲み会ともなると、先輩からの酒は全て飲み干さなければならないのは当たり前で、その上、泥酔状態で皆の前で「芸」をすることを強要される。バンド班にはこのような極端な絶対服従関係はなく、常識的な上下関係があったのみだったので、僕はいつも、自分にはない驚異的な耐久力をもつこの3人の同期たちを驚嘆の目で見ていた。

秋の野球シーズンの応援をしている頃から、眼前でプレーしている野球選手たちを応援しているうちに、自分でもプレーしたい、という気持ちが昂じてきて、秋のシーズンが終わった11月、応援部を退部して準硬式野球部に入部した。楽器と違って、野球は中学・高校の6年間の経験があるので、入部は歓迎され、身体に馴染みのある運動をする心地よさを満喫できハッピーだった。準硬式野球部での、試合や練習のことは、今でも折に触れて懐かしく思い出すことがあるし、先輩後輩、OBそれに他校の選手たちとの間で育まれた人間関係は貴重な財産となっている。この時の選択は間違っていなかったし、辞めた応援部のことはきれいさっぱり頭から消えた。

と、今まで単純にそう思っていた。

が、どうやら、少し違っていたようだ。準硬式野球部で野球できたことは、間違いなく良い経験だったし、もちろん転部したことに後悔はしていない。しかし、一方で、辞めた応援部のことが完全に心から離れてしまったわけではなかったようだ。ここ最近、不意に応援団に惹かれるようになったのはなぜか考えてみて、そう思った。

運動部の部員たちは、すべて、自分たちが試合で勝ちたいから、つまり、自分自身のために活動している。これに対して、応援部は、自分たち以外の人たちが勝つことを唯一の目標として活動する。特に、リーダー班の部員たちは、その為だけに、厳しい練習や理不尽な上下関係などを一生懸命に消化しようとする。ただ単に、他の運動選手たちを応援するためだけに、修行や稽古とでも言っても良いような努力に励むのだ。

応援と一言で言っても、それをうまくやるのは難しい。プレーをする選手たちを奮い立たせたり、観客席の学生たちをうまくリードするためには、迫力ある身のこなしや発声が必要なのはもちろん、部員たちを一つにまとめ上げる統率力や、勝ち目がないときにこそ、元気を失わずに最後まで応援をリードし続ける精神的なタフさも必要とされる。このような技量を身に着けるには、特別な方法が必要になる。延々と続く拍手の練習、運動部以上に厳しい長距離ランニング、4年生には絶対服従の厳格な上下関係。このような様々な理不尽にさらされるリーダー班の部員たちは、きっと、なぜこんなことをやっているのだろう、と何度も自問することを余儀なくされる。

この、何で自分は応援部にいるのか、を考えることこそが、応援部で最も大切な「活動」の一つなのではないだろうか。どんな状況でも選手たちと観客を鼓舞し励ます迫力ある手さばきや身のこなしや発声はもちろん、試合展開に応じて臨機応変に応援プログラムを組み立て、団員を動かす能力などはそう簡単に得られるものではない。4年生に服従する3年間に、「なぜ自分はこんな目に合ってまで応援するのか?」「そもそも、応援をすることとはどういう事なのか?」などの自問を何度も何度も繰り返し、考え抜くことによって、初めて身に着く技量なのだと思う。理不尽さの只中に放り込まれて、「なぜ」の自問を繰り返すことで、応援に必要な能力を身に着けていく、というプロセスは、優れた教育プログラムなのだろう。

一方、試合で自分自身の最高のプレーをすることを目指す運動部の選手たちは、自分を鍛えることが活動の第一義であり、応援部のような、他人を励ましたり、他人をまとめたり、といった活動に比べると、努力の方向ははるかに単純だ。大学1年生の秋に、僕は、このような「複雑な努力」「考え自問する努力」を要する応援部から、自分のことだけを考えて「単純な努力」をすれば済むプレーヤーの世界の方に魅力を感じて転部した。当時の僕には、残念ながら、応援の持つ深さや、理不尽にしか見えなかった応援部独特の因襲の意味を理解できるほどの思慮がなかった。そのことが、気持ちのどこかに引っかかっていたのだろう。

最近になって、応援のことが気になりだしたのは、「応援というものを、ちゃんと考えてみたら?今なら少しは分かるのでは?」という自分自身からの促しなのかもしれない、と思い、考えてみた。その結果が、上記のようなことだ。これは、応援部で4年間を過ごした部員たちなら、二十歳そこそこですでに判っていたことなのだろう。このようなことを考えながら、いろいろな大学の応援風景をウェブサイトで見ていると、どれも素晴らしいと思う。そして、ふと安心する。このような活動に貴重な大学4年間を投じる覚悟をするような若者がいる限り、日本の将来は安泰だ、と。
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内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。今は、トレイルでのウルトラ・マラソンを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

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