2017-09

マーラー 交響曲第7番

交響曲第7番は、マーラーの交響曲の中でも、僕の最も好きな曲だ。今日は、久しぶりに、YouTubeでの映像でこの80分近い曲を通して視聴した。演奏は、クラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団で、2005年の同音楽祭におけるライブ録画だ。とても良い演奏だった。

何よりも、指揮者アバドが時折笑顔を見せながら、実に楽しそうに指揮をしているのが、見ていてとても気持ちが良い。オーケストラの奏者たちもよく乗って演奏しているのがよくわかる。また、演奏後の指揮者、演奏者、観客席の様子が比較的長く記録されていて、コンサート当夜の熱気が伝わってくる。この曲では、カウベル、鉄琴、鐘、マンドリン、ギター、テナーホルンなど、珍しい楽器が使われ、それらが実際に演奏される様子を見られるのもありがたい。

この曲は、「夜の歌」という副題が付けられることが多いが、これは、作曲者自身による命名ではない。全5楽章のうち、第2楽章と第4楽章については、マーラー自身が夜曲(ドイツ語でNachtmusik)と名付けたのだが、このことを理由に、曲全体についても、「夜の歌」と呼ばれるようになっただけのようだ。実際に聴いてみると、特に第1楽章と第5楽章は、金管楽器や打楽器が華々しく活躍して、「夜」とは程遠い活気ある明るい雰囲気を持つので、「夜の歌」というのはあまり曲想に合った副題とは思えない。

第1楽章は、低い声で呟くような始まり方をするが、次第に活気を帯びてきて、ホルンの強奏により行進曲風の主題が堂々と吹き鳴らされるのをきっかけにして、種々の金管楽器が次々と華やかなフレーズを連ねていく。そして、楽章終結部で、トランペットが、空中にきらめく閃光のようなソロを高らかに奏でる。ここが、この楽章最大の聴きどころだと僕が思う箇所で、ここのトランペットは十分に力強くあってほしい。このビデオで初めて知ったのが、この華やかなソロが、主席奏者ではなく第2奏者に割り当てられている、ということだ。(この第2奏者氏は、望みどおり、十分力強くここを吹いてくれた。)この目立つソロを主席に吹かせなかったマーラーの意図はどこにあるのだろうか?20分近くにも及ぶ第1楽章で、難しいソロパートをいくつもこなしてきて疲れ切ったであろう主席トランペット奏者に無理させないという、作曲上の配慮ではないか、と僕は勝手に想像している。当代屈指の指揮者でもあったマーラーは、オーケストラの奏者たちの演奏中のコンディションの変化や苦手なことなどにも熟知していたに違いなく、作曲の際に、長い楽章での最後の難しいソロを、敢えて余力のある第2奏者に吹かせることで、ミスを未然に防ごう、と考えた、という想像は、あながち悪くない素人考えかもしれない。(全く的外れかもしれませんが。)

第2楽章は、「夜曲その1」。寒くもなく暑くもなく、少し湿気を帯びたようななめらかな夜気に満ちた初夏の夜を想像させるような、ゆったりとした、でも確かなリズムを伴うホルンのソロからこの楽章は始まる。これが第1主題。この楽章を支配するリズムを第2バイオリンが、コルレーニョで刻むところが印象的だ。コルレーニョとは、弓の背で弦をたたくという一風変わったバイオリンの奏法んことだ。第2主題も、滑らかに流れるようなメロディーで、この楽章は、終始心地良い律動感とともに進んでいき、最後は、ハープのピーンという爪弾きで、なんともデリケートに結ばれる。

第3楽章は、マーラーが特に「夜」をイメージして作曲したものではないようだが、僕には、むしろ夜を強く感じさせる楽章だ。僕には、霊たちが素早く行き交う様が連想される。もちろん、僕の勝手な想像だが。霊と言っても、別に、気味悪さを感じさせるようなものではなく、重力から自由になった霧のような霊気が、夜気の中を自由に飛び回っている、といったスピード感をかんじさせてくれる音楽だ。

第4楽章は、「夜曲その2」。中学生の頃、この交響曲を初めて聴いた時にすぐに好きになった楽章だ。終始歌うような旋律が流れてなんとも心地よい。オーケストラ曲ではめったに使われないマンドリンとギターによる控え目な旋律が楽章の雰囲気を一層繊細なものにしてくれる。楽章は、消え入るように静かに終わるのだが、今回聴いた演奏では、指揮者アバドは、この後、間を置かずに次の賑やかな第5楽章に入ったのには驚いた。

第5楽章は、いきなり何とティンパニのソロ(!)で賑々しく始まり、その快活な行進曲風の曲調を維持しながら進んでいく、底抜けに明るく、理屈抜きに楽しい曲だ。「夜の歌」という副題にこだわった聴き方をすると、この楽章は、夜明けを現している、と解釈することが多いようだが、むしろ、作曲者は単に、思う存分最終楽章を盛り上げてこの第7交響曲を終えたかった、と考えたほうが素直に楽しめると思う。同じ音型を第1、第2そして第3トランペット奏者が次々と畳みかけるように高らかに連呼するところなど、何度聴いても胸がすく瞬間に何度か出会える楽章だ。冒頭部に限らず、ティンパニが大活躍する楽章だが、奏者が数種類のバチを使い分けてニュアンスに変化を持たせていることが判ったりするのも、映像記録ならではのメリットだ。

冒頭にも書いたが、終演後の会場の様子も時間をかけて丁寧に映像化されている点も好ましい。鳴りやまぬ拍手に何度も応えたり、オケのメンバーを指さして讃える指揮者アバドの様子はもちろん、感無量といった表情で半ば呆然とする男性観客や、オケ後方の2階席から、紙ふぶきのようなものを投げかける女性観客の様子や、「いい仕事ができたね」と言い合っているかのように見える(もちろん勝手な想像ですが)オケのメンバーたちの様子など、このコンサートがいかに感動的なものだったかが、映像を見ていても実感できる。

指揮者のクラウディオ・アバドは、あのカラヤンの後任としてベルリン・フィルの首席指揮者に抜擢されたほどの実力者だが、「今ひとつ特徴がない」とか「安全志向で無難」など、堅実だが面白味のない演奏をする指揮者、という否定的な評価が付きまとう指揮者だ。僕も、このような批評に引っ張られて、アバドの演奏はこれまで、どちらかというと聴かず嫌いの感が強かった。しかし、このビデオを見ていると、アバドが、音楽をこよなく愛し楽しむ気持ちを強く持ってる指揮者で、その気持ちが、オケの奏者たちや、観客たちにはちゃんと伝わっていることがわかった。

実は、アバドは今年1月20日に胃癌で80歳の生涯を終えたばかりだ。あらためて、心より冥福を祈りたい。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://runusa.blog119.fc2.com/tb.php/31-0339b94e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | ホーム |  »

プロフィール

内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。その後、トレイルでのウルトラ・マラソンを経て、今はタイムを気にしなくても良い登山やハイキングを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ようこそ

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する