2015-03

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「拒否できない日本」 (関岡英之著 文春新書 2004年4月刊)を読んで

著者の嫌米感情が色濃く出た著作だ。たとえば、本書の終結部には下記のような記述がある。

あこぎな競争に躍起となり、ひたすら勝つことばかりに血眼になっている浅ましきアメリカ人よ。いまよりももっと贅沢をしたいのか。これ以上いったい何を望むのか。もう、充分ではないか。わたしたちはつき合いきれない、放っておいてくれ、頼むからこの小さな惑星の静謐を掻き乱さないでくれ。

さすがにここまで激しい怒りの表出にはやや閉口するが、この本はそのような感情論が並べられただけのものでは、もちろんない。著者のこのような怒りにはちゃんとした裏付けがあり、その理路をたどる中で、次の3つの重要な示唆を得ることができた。
1.『年次改革要望書』の存在
2.「日本=事前規制型社会」と「米国=事後調整型社会」という切り口
3.公開情報だけを使っても十分に深い洞察を得られる、ということ

1.『年次改革要望書』の存在
恥ずかしながら、『年次改革要望書』というものがあったことを、この本を読んで初めてを知った。『年次改革要望書』とは、毎年10月に、アメリカ合衆国(以下「アメリカ」)が日本政府に対して通告してくる公式文書で、その内容は、内政干渉ともいえるほどの厚かましい一連の改革要求案から成っている。例えば、2001年の『年次改革要望書』では、対象分野は、電気通信、情報技術(IT)、エネルギー、医療機器・医薬品、金融サービス、競争政策、透明性およびその他の政府慣行、法制度および法律サービスのインフラ改革、商法、流通、と多岐にわたっている(しかも、この中には、「政府慣行」「法制度」「商法」といった日本の社会制度の根本に関わるような項目も含まれている)。それぞれの項目について、市場開放、自由化、規制緩和、非関税障壁の撤廃など、米国の企業や弁護士などが日本市場へ参入するのを容易にするための極めて具体的な要望が列挙されている。その分量は、和訳版で54ページ、400字詰め原稿用紙で200枚を超える分量だ。
なお、この要望書は、日米間で相互に取り交わす双務的な制度、という建前となっているが、日本からアメリカへ提出された要望書は、アメリカからのものの四分の一の分量だ。内容的にどの程度重要な要望をアメリカに対して行っているかは、僕には判断しかねるが、本書によればこの要望書は「外圧の一手段としてアメリカから提案されたもの」なので、腰の入り方が全く違うはずだ。両国の要望書ともに、公開文書なので原文が閲覧できる(Wikipediaに便利なリンクが張ってある)。
この『年次改革要望書』は、宮澤-クリントン会談での合意を受けて1994年に始まり、以来毎年、相互に提出され続けており、日米当局者が定期的な点検会合を開いて進捗状況のチェックまで行われてきたということだ。その後、この『年次改革要望書』は、民主党鳩山政権時代の2008年版を最後に廃止された(それに代わって、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加を要請されたらしいが、これについては要調査)。なお、本書の出版されたのは2004年なので、『年次改革要望書』はまだ毎年提出されていた時期だ。
アメリカの国益を全面に出した大変押しつけがましい要望書で、時に日本の国益に反する内容のものも含まれていたにも拘らず、歴代の日本政府は、むしろ積極的かつ忠実にそれらの要望を実現化していったようだ。したがって、著者は、以下の様に言う。

これから数年後の日本に何が起きているか。それを知りたいと思ったとき、必読の文献がある。アメリカ政府が毎年十月に日本政府に突きつけてくる『年次改革要望書』である。

『年次改革要望書』には、日本の基幹産業や社会制度に関して、政府が本気で取り組む可能性が高い要求案が列挙されており、しかも、それが公表されているのだから、日本国民の多くに関わるはずの重要な文書のはずなのだが、どういうわけか、マスコミは、一度もこの要望書の全文を報道したことがないらしい。

2.「日本=事前規制型社会」と「米国=事後調整型社会」という切り口

「事前規制型社会」というのは、要するに御上の行政指導のもと、業界団体が内輪で利害調整を行い、さまざまな約束事をあらかじめ”談合”しておくことによって、競争から生じる摩擦をできるだけ前もって回避しようとする社会、つまり秩序や協調を重視する日本的社会そのものである。
一方「事後調整型社会」とは、行政による規制や業界による事前調整を一切なくして、誰にも自由にやらせて好きなようにとことん競争させる、それでなにか問題が起きたら、そのとき裁判で争って解決すればよい、とする社会で、自由放任と自由競争を重んじるアメリカ型の社会といえる

まさに言い得て妙、僕が仕事を通じて感じている日米の違いをうまく要約してくれている。仕事上、何か新しいことに取り組もうとする時に、日本の顧客や本社からは、しばしば、いくつかの想定されるシナリオごとに、起こる可能性のある問題とその対応策を予め策定してレポートして欲しい、といった依頼がある。これなど、問題を事前に回避したいという強い意向の反映の最たるものだ。おそらく、心配性と高い抽象的思考能力(つまり、まだ起こっていないことを頭の中で思い描く力)という日本人の傾向のなせる業だろう。しかし、結局、散々苦心惨憺して想定した想定問題とその解決策が、思いもよらなかったことが起きたために全て使い物にならなかった、という結果になることもめずらしくない。なんというエネルギーの無駄遣いか。
一方、アメリカ人が中心になって進められるプロジェクトでは、とにかくやってみて、何か問題があったら、それを皆で全力で解決、その原因を究明し、改善を図って次に進む、という具合に展開していく。
職種にもよるのだろうが、おそらく、大部分の「仕事」については、後者のアメリカ型、つまり、「事後調整型」のほうが結局うまくいくような気がする。そもそも、起こりもしていない問題を「想定」して、しかもその解決策まで「準備」しておく、という発想は、アメリカ人には非常に難しい、というよりも、甚大な無駄・浪費と映るのだろう。仕事上の問題は、起こるまでは問題ではない、という発想がアメリカでは一般的だと思うし、大部分の仕事はその発想でうまく進められると僕も思う。(もちろん、全ての分野で、ということではなく、たとえば災害予防や医療といった、人命が関わるような分野などでは、当然、問題の事前把握・回避に全力を尽くすことにアメリカ人も異存はないはずだ。)
しかし、著者が述べているように、これが、日本の法制という社会制度の根幹について、日本型からアメリカ型に移行せよという要望としてなされる場合は問題だ。法制において、「事後調整型社会」といえば、アメリカ人の間でも相当問題視されていると思われる訴訟過剰社会、ということになる。長年社会に根付いてきた法制を、簡単に変えるべきではない、という著者の意見に賛成だ。

3.公開情報だけを使っても十分に深い洞察を得られる、ということ
著者は、本書で、上記以外にも、様々な分野で進められているアメリカによる日本に対する内政干渉と、それに対して日本政府が嬉々として応じている例を多く挙げている。一見、大国の陰謀や政治の裏側を描いているように見えるが、著者はそのような各種事例を、全てインターネット上や国公立図書館で公開されている公式資料だけを使って入手したそうだ。そして、参照した資料の名前と出所も丹念に記載しているために、それらをもとにした著者の解釈・意見について、読者は、自分自身でその資料に当たって検証することができる。そのために、冒頭に引用したような、やや行き過ぎた感情的表現があっても、さほど僕には気にならなかった。むしろ、その意見の根拠となった資料に自分でも当たってみて、自分なりに考えてみよう、という気持ちにさせてくれる。いくら著者の意見が偏っていても過激でも、この反証可能性が、この本の「科学性」を担保している。

以上のように、日米関係について考えるきっかけと材料を提供してくれた、という点で、この本は貴重だ。とりあえず、『年次改革要望書』に代わって登場したTPPについて自分なりに調べてみたいし、仕事のやり方についても引き続き日々考えていきたい。
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プロフィール

内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。今は、トレイルでのウルトラ・マラソンを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

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