2007-10

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ブルックナー:交響曲第4番、カール・ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 クラシック音楽を聴く楽しみの一つとして、同じ曲をいろいろな演奏で聴き比べられる、ということがある。とはいえ、残念ながら、僕の耳では、演奏家による違いがはっきりとわかることのほうが少ない、というのが正直なところだ。しかし、ごくたまに、一聴して明らかに他と違う際立って素晴らしい演奏に出会えることがある。これぞ至福の時だ。たとえば、ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第4番と第6番、イル・ジョルダーニョ・アルモニコによるJ.S.バッハのブランデンブルク協奏曲全曲、モザイク四重奏団によるハイドンの弦楽四重奏曲などがそうだった。このような機会は決して多くない。うれしいことに、この短いリストに最近一つ新たな演奏が加わった。それが、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブルックナーの交響曲第4番だ。
 何よりもオーケストラの音色が素晴らしい。特に金管楽器群が抜群の音を楽しませてくれる。靄に包まれた深い森の朝を想わせる曲頭のホルン・ソロ、そして、同じホルンでも、ユニゾンで演奏される箇所では、音を割った強奏はまるで音の太い柱のように堂々と力強い響きとなる。トランペットも、よく通る高音部はどこまでも軽快だし、合奏での柔らかい響きは絹のような滑らかさと艶がある。
 音色の他にも、この演奏は、全体として、どっしりとした落着きとスケールの大きさを感じさせる、という魅力がある。よく言われることだが、この曲は、眼前にせまる険しい山々、深い森の中の小途、高山植物の咲く高原、澄んだ空気、突然広がる雲と驟雨まじりの冷たい風、など山岳トレイルを行く時の光景を思い起こさせる。そのような曲想を際立たせてくれる演奏だ。
 素晴らしい演奏に出会った時にはいつもそうだが、しばらくは、この演奏の一部が、いつも頭のどこかで鳴っているような状態が続きそうだ。1973年11月録音。
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働き方

日本のテレビドラマ『派遣の品格』の一場面で、中堅社員が同僚に「俺たちが入社したころは良かった。会社が一つの家族のような雰囲気があった」と、しみじみと昔を懐かしむシーンがあった。1989年のバブル崩壊後の長期に及んだ不況の結果、日本の会社は、終身雇用制と年功序列賃金によって給与が高水準に達したベテラン社員たちをリストラすることによって、手っ取り早い経費削減を推し進めた。そして、その穴埋めとして、安価で解雇しやすい派遣社員を使う、という動きが拡大しており、そのような傾向を嘆いてのつぶやきだ。
高度経済成長期以来、日本では、会社は、仕事をする場所というだけではなく、上司・同僚・部下を含めた職場仲間との、仕事とも個人的ともいえないような、様々な微妙な人間関係を育んでいかなければならない場所でもある。そのような人間関係を基にして仕事を進めていくことが、日本の会社では求められる。終身雇用制が定着していたころには、会社での人間関係が入社から定年退社まで長期間続くことから、社内での人間関係に常に気を配っておかないと、いつどこで思いがけない摩擦や問題が生じて仕事や自分の出世に支障が生じるわからない。社内での良好な人間関係を維持することが重要視され、その行き着くところは、一つの家族のような組織だ。そこでは、社員相互の人間関係が重視されるあまり、長時間勤務に加えて、夜の飲み会や休日のゴルフなど、職場関係のつきあいは長時間に及び、夫が家庭をがないがしろにした結果、妻の不倫・ノイローゼ、子供の非行・登校拒否などが、高度成長期以降の日本の社会問題となっている。当然、このような働き方への批判が生まれ、「欧米流」のもっとドライで割り切った会社との関係、仕事の仕方が流行してきた。会社が終身雇用をなくそうとしてきたのと同時に、従業員のほうからも、会社との距離を置こうとし始めたのだ。
戦後、終身雇用制は、経済規模の拡大に伴う企業の雇用能力増大=ポストの増加によって維持されてきた。そして団塊の世代が管理職クラスになったときにバブルが崩壊、不況に突入し、会社組織の縮小、ポストの減少、中高年のリストラが広まった結果、終身雇用制が崩れ始めたと言われる。
しかし、運良く会社に残れた団塊の世代もそろそろ定年退職を迎え始め、今後は一転少子化の時代で、社員数は減り、ポストは余ってくる。希少な社員を少しでも長く確保したいという会社側の意向から終身雇用制を復活させようとする動きも出てくるだろう。働く側からしても、解雇を心配せずに働ける環境は、長期的な視点に立った良質の仕事をする上で望ましいはずだ。その結果、社内での人間関係を重視する風潮もまたある程度復活するだろう。そのような中で、再びかつてのような、家庭を顧みないような働き方しかできないサラリーマンにならないように、自分なりに納得のいく、そして会社側からも受け入れられるような働き方をしっかりと身に付けておかなければならない。そのような働き方は、かならずしも、ドライ一辺倒なものでもなく、会社べったりといったものでもないはずだ。僕自身、今もなお、「ちょうど良い働き方」を模索する毎日だ。

楽しいランニング

大部分のスポーツは、一生懸命にやらなければあまり面白くない。ところが、ランニングは、一生懸命やっても、手を抜いても、それぞれに楽しい。レースで自己ベストを狙って、1マイルごとにラップをとりながら走るときは、走っている間は苦しさが先行するが、自己ベストを達成できたときの喜びは大きい。一方、休日に郊外のトレイルを、景色や仲間との会話を楽しみながらゆっくりと走る、というのもとても楽しいものだ。フルマラソンを走るときも、一生懸命に26.2マイルを走るのと、写真を撮りながら自分の最も心地よいペースで走るのとは、全く違った楽しみがある。
ランニングは、一見、単調そうに見えてその実、走るコース、天候、季節、ペースなどを、自分のその時々の嗜好で組み合わせれば、実にさまざまに違った楽しみ方ができて飽きないものだ。そうやって走っているうちに、タイムも自然に伸びてくるとうれしいし、楽しみ方の幅も増えてくる。
こんなに楽しいランニングなのに、なぜか苦しいものと考えている人が多いようだ。これは、たぶん、「走る=運動部のトレーニング=苦しい」とか「走る=減量=苦しい」という連想があるため、罰で走らされた経験があるため、急いでいるときにだけ走るため、速く走ることだけが走ることだと思っているため、元旦の決心で走ってみたが3日坊主に終わった経験があるため、などが原因だと思う。別に継続しようなどと思わずに、ある快晴の日曜日の早朝に、近所をゆっくりと(ゆっくりと、これが肝心)30分ほどジョギングしてみたら、きっと多くの人が走る楽しさに気付くと思う。

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プロフィール

内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。今は、トレイルでのウルトラ・マラソンを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

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