2017-11

ドヴォルザーク作曲弦楽四重奏曲第12番ヘ長調 作品96「アメリカ」

ドヴォルザークの曲といえば、新世界交響曲が有名だ。確かに、フル・オーケストラが大音響を響かせる交響曲も魅力だが、今日は、弦楽奏者4人だけで、小ぢんまりと奏でられる弦楽四重奏曲「アメリカ」を取り上げる。ドヴォルザークらしい親しみやすく魅力的なメロディーが満載の佳曲だ。

第一楽章 アレグロ・マ・ノントロッポ (快速に、でも速すぎずに)
トレモロの短い序奏の後すぐに、単刀直入に、何とも人懐っこい感じの民謡調の第一主題が軽快に奏されて、この曲が作曲された19世紀アメリカの田舎の世界へと、一気に引き込まれる。これに劣らず人懐っい第二主題も心に沁み入るような魅力を持つ。

第二楽章 レント(遅く)
ネイティブ・アメリカンの古老が訥々と昔話を語っているような、素朴な、そして、いつか夢で見たような気にさせる不思議な懐かしさを呼び起こしてくれる曲だ。

第三楽章 モルト・ヴィヴァーチェ (極めて、速く生き生きと)
とぎれとぎれの曲想は、素朴で、ややたどたどしいステップを踏んで踊る田舎の農夫たちを想像させる。同じリズムが速度を落として奏される部分は、踊る人々の背景はるか彼方に、小さくしかしくっきりと見える雪を頂いた山々の稜線を型どっているように、僕には聞こえる。

第四楽章 ヴィヴァーチェ・マ・ノントロッポ(速く生き生きと、でも速すぎずに)
ドヴォルザークが大好きだった蒸気機関車で、アメリカ中西部の大草原を旅しているような、心浮き立つ曲だ。車窓から見える景色がどんどん後ろに通り過ぎていくような快調な曲想。ピツィカートの伴奏が、シュッポ、シュッポと聞こえて楽しい。

最近、この曲に、木管五重奏用に編曲されたヴァージョン(編曲者はドヴォルザークではない)があるのを見つけた。フルート、オーボエ、クラリネット、ホルンそれにファゴットの合奏によって演奏されるのだが、これが、まさに木の温もりを感じさせてくれて素晴らしい。原曲のひなびた曲調が、5種類の木管楽器それぞれの音色によって少しカラフルになるのが楽しい。
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ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61

中学三年生の時に、たまたま耳にして以来、今に至るまでずっと好んで聴いている曲だ。全曲で演奏時間は45分前後と長めだが、ベートーヴェンの曲にしては珍しく、あまり緊張感を強要しない曲風なので、気軽に何度でも聴きたくなる。

第一楽章は、ティンパニが、ニ音(ニ長調のド)の四分音符を四つ連打するという、この上なくシンプルな始まり方をする。この同音四連の音型が、20分を超える長い第一楽章のいたるところで顔を出す。こんな単純な音型なのに、出て来るたびに違って聞こえるだけでなく、曲そのものがその都度精彩を増して行く。第一楽章の主要主題は、これもまた単純な、ドーミソラシドレドシというほとんど音階そのもののような短く簡明なものだ。ゆったりとした風格を感じさせてくれるこの主題が、この曲全体の中で、最も好きなフレーズだ。

心地よいまどろみのような第二楽章も、穏やかな快活さを感じさせる第三楽章も、どちらも好ましい。

そもそも、穏健で、あまり声高に主張しない曲風のせいか、大抵の演奏が中道を行くような常識的な感じのものになるが、むしろその方がこの曲の良さをよく伝えてくれる。好きな曲なのでいろいろな録音を聴いてきたが、結局は、一番最初に買った同曲の録音(当時はLP)である、シェリングの独奏にイッセルシュテット指揮ロンドン交響楽団が伴奏したものが、今でも最も親しみやすい。

Google Play Music All Access

今年6月4日からGoogle Player Music All Accessを利用し始めた。これは、ウェブ上のGoogle Playにアップロードされた全ての音楽ファイルを聴くことができる(ただし、ダウンロードすることはできない)、というサービスだ。クラシック音楽の場合、一つの曲目を様々な演奏家が録音するので、CDの数は膨大なっものになる。試しに、いくつか好きな曲目で検索してみたところ、アクセスできる音楽ファイルの数は、十分に満足いく量だった。世にある数多くの録音を、自分のPCだけでなく、通勤途上や外出先からスマートフォンでも楽しむことができる。クラシック音楽ファンとしては、夢のようなサービスだ。このサービスを利用するための条件は、1.自分のPCに保存してある音楽ファイルをGoogle Playにアップロードすること、2.毎月$9.99のフィーをGoogleに払うこと、の二つだ。

でも、このようなサービスが普及すると、CDの販売高は減り、クラシック音楽業界は、演奏家もCD制作・販売会社も、商売あがったりだ。音楽制作関係業者の多くが倒産し、演奏家たちは収入が減り、その数も減り、演奏水準も落ちてゆく、という懸念がある。

でも、少し考えると、必ずしもそうとも限らないようにも思う。

まず演奏家だが、CDからの印税収入は減るかもしれないが、Google Playerのようなサービスを通じて、クラシック音楽へのアクセスが容易になり、ファン層の拡大につながることが大きい。そうなればコンサートに来る聴衆も増える。クラシック音楽の場合、何と言っても実演で聴ける生の楽器の音色には圧倒的な魅力があり、CDやMP3等の再生音とは異次元のものだ。それに、クラシック音楽好きのすそ野が広がれば、地方のオーケストラなども、地元で熱心に支援してくれるファン層を獲得できるかもしれない。

一方、CD制作・販売会社にとって、ネット上での音楽ソースの公開は大きな脅威に違いなく、当面は、著作権を盾に法廷闘争を繰り広げることになろう。しかし、音楽をCDやDVDなどのデータ・ファイルとして視聴者に届けている以上、音楽ファイルがコピーされることを強制的に食い止めることは無理だと観念するしかないのではないか。MP3プレーヤーで聴くには一旦CD音源をファイル形式にしてPCにコピーすることが必要不可欠ですらある。PCとインターネットの普及で、音楽産業のビジネス環境が変化したことを、音楽業界は受け入れるしかない。著作権関連法規も、社会環境の変化に合わせて改訂される必要もあるかもしれない。

そのような新しい環境の中でCDを売ろうと思えば、それを単なる音楽媒体としてではなく、「モノ」しての魅力を高める必要がある。音楽を聴く満足に加えて、デザインや解説内容などを充実させて、商品としても魅力を高めるという、当たり前の経営努力を続けるしかない。

そもそも、Google Playerのようなビジネスモデルに対応できるように、自分たちのビジネスのやり方も変えていくことも、環境変化に即応するというこれまた当たり前の経営努力の一環として、取り組んでいかなければならない。
こういった経営努力に取り組む意思のある企業にとっては、Google Player等によるクラシック音楽ファン層の拡大がもたらす恩恵は大きい。なんと言っても、潜在的な顧客が増えることは望ましいことだし、意外と、CDの売り上げそのものも減らないのかもしれない。

Google Playerのように利用者=音楽ファンにとってありがたいサービスの出現は、短期的には既得権益を損なう者は出るものの、長い目で見れば音楽に携わる関係者全員のメリットになるものと確信している。

マーラー 交響曲第7番

交響曲第7番は、マーラーの交響曲の中でも、僕の最も好きな曲だ。今日は、久しぶりに、YouTubeでの映像でこの80分近い曲を通して視聴した。演奏は、クラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団で、2005年の同音楽祭におけるライブ録画だ。とても良い演奏だった。

何よりも、指揮者アバドが時折笑顔を見せながら、実に楽しそうに指揮をしているのが、見ていてとても気持ちが良い。オーケストラの奏者たちもよく乗って演奏しているのがよくわかる。また、演奏後の指揮者、演奏者、観客席の様子が比較的長く記録されていて、コンサート当夜の熱気が伝わってくる。この曲では、カウベル、鉄琴、鐘、マンドリン、ギター、テナーホルンなど、珍しい楽器が使われ、それらが実際に演奏される様子を見られるのもありがたい。

この曲は、「夜の歌」という副題が付けられることが多いが、これは、作曲者自身による命名ではない。全5楽章のうち、第2楽章と第4楽章については、マーラー自身が夜曲(ドイツ語でNachtmusik)と名付けたのだが、このことを理由に、曲全体についても、「夜の歌」と呼ばれるようになっただけのようだ。実際に聴いてみると、特に第1楽章と第5楽章は、金管楽器や打楽器が華々しく活躍して、「夜」とは程遠い活気ある明るい雰囲気を持つので、「夜の歌」というのはあまり曲想に合った副題とは思えない。

第1楽章は、低い声で呟くような始まり方をするが、次第に活気を帯びてきて、ホルンの強奏により行進曲風の主題が堂々と吹き鳴らされるのをきっかけにして、種々の金管楽器が次々と華やかなフレーズを連ねていく。そして、楽章終結部で、トランペットが、空中にきらめく閃光のようなソロを高らかに奏でる。ここが、この楽章最大の聴きどころだと僕が思う箇所で、ここのトランペットは十分に力強くあってほしい。このビデオで初めて知ったのが、この華やかなソロが、主席奏者ではなく第2奏者に割り当てられている、ということだ。(この第2奏者氏は、望みどおり、十分力強くここを吹いてくれた。)この目立つソロを主席に吹かせなかったマーラーの意図はどこにあるのだろうか?20分近くにも及ぶ第1楽章で、難しいソロパートをいくつもこなしてきて疲れ切ったであろう主席トランペット奏者に無理させないという、作曲上の配慮ではないか、と僕は勝手に想像している。当代屈指の指揮者でもあったマーラーは、オーケストラの奏者たちの演奏中のコンディションの変化や苦手なことなどにも熟知していたに違いなく、作曲の際に、長い楽章での最後の難しいソロを、敢えて余力のある第2奏者に吹かせることで、ミスを未然に防ごう、と考えた、という想像は、あながち悪くない素人考えかもしれない。(全く的外れかもしれませんが。)

第2楽章は、「夜曲その1」。寒くもなく暑くもなく、少し湿気を帯びたようななめらかな夜気に満ちた初夏の夜を想像させるような、ゆったりとした、でも確かなリズムを伴うホルンのソロからこの楽章は始まる。これが第1主題。この楽章を支配するリズムを第2バイオリンが、コルレーニョで刻むところが印象的だ。コルレーニョとは、弓の背で弦をたたくという一風変わったバイオリンの奏法んことだ。第2主題も、滑らかに流れるようなメロディーで、この楽章は、終始心地良い律動感とともに進んでいき、最後は、ハープのピーンという爪弾きで、なんともデリケートに結ばれる。

第3楽章は、マーラーが特に「夜」をイメージして作曲したものではないようだが、僕には、むしろ夜を強く感じさせる楽章だ。僕には、霊たちが素早く行き交う様が連想される。もちろん、僕の勝手な想像だが。霊と言っても、別に、気味悪さを感じさせるようなものではなく、重力から自由になった霧のような霊気が、夜気の中を自由に飛び回っている、といったスピード感をかんじさせてくれる音楽だ。

第4楽章は、「夜曲その2」。中学生の頃、この交響曲を初めて聴いた時にすぐに好きになった楽章だ。終始歌うような旋律が流れてなんとも心地よい。オーケストラ曲ではめったに使われないマンドリンとギターによる控え目な旋律が楽章の雰囲気を一層繊細なものにしてくれる。楽章は、消え入るように静かに終わるのだが、今回聴いた演奏では、指揮者アバドは、この後、間を置かずに次の賑やかな第5楽章に入ったのには驚いた。

第5楽章は、いきなり何とティンパニのソロ(!)で賑々しく始まり、その快活な行進曲風の曲調を維持しながら進んでいく、底抜けに明るく、理屈抜きに楽しい曲だ。「夜の歌」という副題にこだわった聴き方をすると、この楽章は、夜明けを現している、と解釈することが多いようだが、むしろ、作曲者は単に、思う存分最終楽章を盛り上げてこの第7交響曲を終えたかった、と考えたほうが素直に楽しめると思う。同じ音型を第1、第2そして第3トランペット奏者が次々と畳みかけるように高らかに連呼するところなど、何度聴いても胸がすく瞬間に何度か出会える楽章だ。冒頭部に限らず、ティンパニが大活躍する楽章だが、奏者が数種類のバチを使い分けてニュアンスに変化を持たせていることが判ったりするのも、映像記録ならではのメリットだ。

冒頭にも書いたが、終演後の会場の様子も時間をかけて丁寧に映像化されている点も好ましい。鳴りやまぬ拍手に何度も応えたり、オケのメンバーを指さして讃える指揮者アバドの様子はもちろん、感無量といった表情で半ば呆然とする男性観客や、オケ後方の2階席から、紙ふぶきのようなものを投げかける女性観客の様子や、「いい仕事ができたね」と言い合っているかのように見える(もちろん勝手な想像ですが)オケのメンバーたちの様子など、このコンサートがいかに感動的なものだったかが、映像を見ていても実感できる。

指揮者のクラウディオ・アバドは、あのカラヤンの後任としてベルリン・フィルの首席指揮者に抜擢されたほどの実力者だが、「今ひとつ特徴がない」とか「安全志向で無難」など、堅実だが面白味のない演奏をする指揮者、という否定的な評価が付きまとう指揮者だ。僕も、このような批評に引っ張られて、アバドの演奏はこれまで、どちらかというと聴かず嫌いの感が強かった。しかし、このビデオを見ていると、アバドが、音楽をこよなく愛し楽しむ気持ちを強く持ってる指揮者で、その気持ちが、オケの奏者たちや、観客たちにはちゃんと伝わっていることがわかった。

実は、アバドは今年1月20日に胃癌で80歳の生涯を終えたばかりだ。あらためて、心より冥福を祈りたい。

34年ぶりの再会

 34年前、中学1年生になったばかりの頃だったと思う。ある朝、親に買ってもらったばかりのソニー製ラジカセでNHK-FM放送を何気なく聴いていたときに、たまたま流れたある曲が鋭く琴線に触れた。これが、僕がクラシック音楽を聴き始めるきっかけとなった瞬間だ。管楽による、ファンファーレを想わせる和音4打のあと、弦楽が、舞い上がるようなさわやかで快活な旋律を奏でる。今まで聴いたことのないような美しい音に、忽ちのうちに未了された。繰り返し聴いたはずなので、この時たまたまカセット・テープに録音したのだろう。

 以来、ずっと、この曲が頭から離れず、レコードやCDを探し続けてきた。曲目のアナウンスを録音し忘れたのだろう。モーツァルトのディヴェルティメント変ホ長調か変ロ長調、演奏はウィーン八重奏団、という記憶だけが残っていた。これだけ判っていれば見つかりそうなものだけれど、図書館を利用してモーツァルトのディヴェルティメントを手当たり次第聴いてみたり、クラシックCDの分厚いカタログや案内書を調べたりしたが、なかなか見つからなかった。

 それが何と、先週、ニューヨークの中古レコード店で見つけたそれらしいレコードを、だめで元々くらいの気持ちで購入したところ、まさに、その曲だった。モーツァルトのディヴェルティメント第一番変ホ長調K. 113(米London STS 15053)。モーツァルト15歳の時の作品で、弦楽4部とクラリネットとホルンがそれぞれ2本の計8人で演奏され、全4楽章を合わせても演奏時間12分足らずの小品だ。演奏も、34年前に聴いたのと同じウィーン八重奏団によるものだ。ウィーン・フィル往年の名コンサートマスター、ウィリー・ボスコフスキーが第一ヴァイオリンを勤める。

 34年ぶりに聴いた。が、意外なことに、記憶の中で鳴っていたこの曲の方が、実際にレコードから再生された音楽よりも美しかった。長年の間に頭の中で少しずつ美化されていたのかもれない。初めて聴いた時のような感激もなかった。しかし、それでよいのだと思う。長い間記憶の中だけにあった音楽に34年ぶりに再会できたということ、それ自体が、何ものにも代えがたい貴重で感動的な体験なのだから。

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プロフィール

内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。その後、トレイルでのウルトラ・マラソンを経て、今はタイムを気にしなくても良い登山やハイキングを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

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