2017-05

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生活を続けるということ

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。


夏目漱石が『草枕』の冒頭で語ったように、生きていくのはあまり楽ではない。一日一日生活を続けていくには、(あまりに大変すぎると困るのだが)やはりいくらかの努力は要する。そんな毎日の中で、たまたま出会った「何か」に少し力をもらい、それに背中を押されてまた生活の歩みを続ける、ということが時々ある。その「何か」は、家族や職場仲間との何気無い会話だったり、テレビ番組の一シーンだったりと様々なのだが、ここでは「言葉」に絞って幾つか集めてみた。

ここで、もう一つ序でに驚いて置くのが有益である。それは、モオツァルトの作品の、殆どすべてのものは、世間の愚劣な偶然な或は不正な要求に応じ、あわただしい心労のうちに成ったものだという事である。制作とは、その場その場の取引であり、予め一定の目的を定め、計画を案じ、一つの作品について熟慮専念するという様な時間は、彼の生涯には絶えて無かったのである。而も、彼は、そういう事について一片の不平らしい言葉も遺してはいない。小林秀雄『モオツァルト』(『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)所収)より


彼とはモーツァルトのことで、モーツァルトほどの天才にして、仕事は顧客からの要求に応ずるという形で行われていた、つまり顧客主導だったわけだ。しかも、それについて一言も不平を言っていないようなのだ。一介のサラリーマンの自分が仕事をしていく中で、顧客や上司などから少々理不尽な要求があるのはあたりまえ。とりあえずは不平を言わずに、それを受け入れて、その後で、どうすればそれに対応できるかをじっくり考える、ということを続けていくしかないか...と、小林秀雄の著作の中でも僕が最も好み繰り返し読んでいる『モオツァルト』のこの部分を読むたびに、吹っ切れて少し元気が出る。ところで、小林秀雄は、よほどこの「その場その場の取引」という表現が気に入ったのだろう。このすぐ後の箇所でも同じ字句を、さらに二回も繰り返している。

もう一つ小林秀雄から。

無常な人間と常住の自然とのはっきりした出会い...を「平家」ほど、大きな、鋭い形で現した文学は後にも先にもあるまい。これは、「平家」によって守られた整然たる秩序だったとさえ言えよう。また、其処に、日本人なら誰も身体で知っていた、深い安堵があると言えよう。それこそまさしく聞くものを、新しい生活に誘う平家の力だったのではあるまいか。「平家」の命の長さの秘密は、その辺りにあるのではあるまいか。小林秀雄『平家物語』(『考えるヒント』(新潮文庫)所収)より


僕自身、平家物語は、高校の古典で習っただけだが、小林秀雄にこのように言われると、そうなんだろうなと思う。あの長大な平家物語を論じて、他の何ものでもなく、「人々を新しい生活に誘う力」に、この古典の存在意義があると結論付けている。氏は平家物語が好きだったようで、上記のエッセイのほかにも、戦前に書いた同名のエッセイがあり、こちらにも、

傍若無人な無邪気さがあり、気持ちのよい無頓着さがある。

というような、魅力的な表現があり、読ませてくれる。『モオツァルト』からも、『平家物語』からも、小林秀雄の、生活者への暖かく優しい眼差しが感じられ、これが元気を与えてくれる。

次は、19世紀から20世紀初頭に生きたスイスの哲人カール・ヒルティの言葉から。

あまり働きすぎてはならない。また一般に、秩序ある暮し方をすれば、その必要もない。一方、適度な仕事は、力を維持する最上の方法であり、また非活動的な力やたるんだ力を救う唯一の、無害な刺戟剤でもある。カール・ヒルティ(草間平作・大和邦太郎訳)『眠られぬ夜のために 第一部』(岩波文庫)より


『眠られぬ夜のために』は、ヒルティによる1901年の随筆集だが、今の世でも日々の生活に活かせるような数々の助言が、押しつけがましくない口調で述べられている。1日1つずつで365日分のエッセイからなり、上記引用は、その1月3日分からのものだ。仕事を続けることの大切さを教えてくれるだけでなく、仕事があまりに過密になったとき、この言葉を思い出して、バランスを回復するための対処策を考えたりするきっかけとなっている。

次は、僕の大好きなスティーブン・ジェイ・グールドの科学エッセイの一節から。

われわれの敵はファンダメンタリストなのではなく、偏狭さなのだということである。...デイトンに集まった報道関係者たちは...みな一様に、デイトンの人々は創造説を信奉しているのに、見解を異にする側に対しては偏狭さも示さないし、無礼な態度すら見せないことに気づいた。...デイトンの町は、その温情を保持していた。スティーブン・ジェイ・グールド『デイトン探訪』(『ニワトリの歯(下)』(ハヤカワ文庫)所収)より


1925年のスコープス裁判の舞台となったジョージア州の田舎町デイトンを、進化生物学と科学史が専門のハーバード大学教授であった著者が1981年に訪れて書いたエッセイの一部だ。スコープス裁判とは、進化理論を高校の生物の授業で教えることを禁じたジョージア州法に違反した教師が訴えられた裁判だ。なぜこのような常識外とも見えるような州法が成立したかというと、米国南部のジョージア州には、すべての生物はおよそ六千年前に神が創造したとする創造説を信じる、所謂ファンダメンタリストと呼ばれる保守的なキリスト教徒が(現在でも)相当数いるためだ。もちろん、著者は、このような創造説に反対する立場に立つ。その上で、創造説を信奉するデイトンの町の人々にも、このような、優れた科学者らしい公平な見方で接している。真面目に暮らす人々への、信教の違いを超えた優しく温かい眼差しに元気づけられる。

次は、書籍ではなく、高校時代の同級生で、地元金沢で祖父の代から続く地場証券会社を経営している竹松俊一氏の実名によるブログだ。公私ともにお忙しいと思われるのだが、ただの一日も欠かさずに書いておられる。毎日読むわけではないが、少し疲れ気味な朝などに、通勤電車に乗りながらそのユーモアーのある明快で簡潔な文章を楽しんでいる。個々の記事の内容もさることながら、毎日欠かさず書く、という継続性そのものに感銘を受ける。生活を続けていくことがどのようなことなのかを具体的な形で提示してくれるブログだ。

最後に、歌を一つ。今や国民的アイドルと呼ばれるほどの人気グループ、嵐の『Happiness』という歌のサビの部分だ。

♫走り出せ、走り出せ、明日を迎えに行こう♫
♫止めないで、止めないで、今を動かす気持ち♫


「明日を迎えに行こう」も「今を動かす気持ち」も、聴くほどに味わいがでてくる良い言葉だ。こんな魅力的な歌詞が、軽快な曲に載り、5人の好青年たちの楽しげなダンスを伴って歌われる。前向きな気持ちにさせてくれる佳曲だ。

とかく住みにくい人の世ではあるが、悪いことばかりではない。息切れしないくらいの快適な速さ(あるいは、遅さ)で走り出して、今を動かし、明日を迎えに行こう。
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アグロー

娘が、ネットで見つけたちょっと面白い話を教えてくれた。

頃は1930年代、アメリカのとある地図制作会社General Drafting Company(以下「ジェネラル社」)の話だ。同社役員のオットー・G・リンドバーグ Otto G. Lindbergとその部下アーネスト・アルパーズ Ernest Alpersは、自分たちが苦労して作った地図が、競合他社によって違法にコピーされ販売されることに苦慮していた。裁判に持ち込んでも、訴えられた方は、「ジェネラル社の地図をコピーしたわけではない。実際の地形や道路や町などを地図にすれば、両社の地図がそっくりになるのは当然だ。」と抗弁して無罪放免になる。困り果てた二人は一計を案じた。同社が制作した地図上のある場所に架空の地名を印刷しておく。他社が無断でその地図をコピーしたときには当然それと知らずにその架空の地名もコピーしてしまう。ジェネラル社は、違法コピーした相手を裁判に訴えて、コピーされた地図にその地名があることを証拠に勝訴する。という寸法だ。

架空の地名を挿入する地図上の場所は、極めて慎重に選ばれたのだろう。あまりに人里離れていても目立ちすぎてばれるし、かといって、あまりに本当の町に近すぎても、変に話題になると自社の地図への信頼性がなくなる。選ばれた場所は、ニューヨーク州の真ん中あたり、山間の村ロスコーRoscoe近くの、田舎道の中ほどの地点だった。架空の町の名は、アグローAgloe。ジェネラル社の上記二人Otto G. LindbergとErnest Alpersのイニシャルを組み合わせたものだ。

アグローが記載されたニューヨーク州の道路地図が出版されてから数年後、ついに「その時」が来た。地図制作会社大手のランド・マクナリー社が出版したニューヨーク州地図に、Agloeの名があるのを、リンドバーグは見つけた。すぐにランド・マクナリー社を提訴、「アグローAgloeが動かぬ証拠だ」。ところが裁判は意外な展開を見せた。ランド・マクナリー社の社員が地図上のAgloeの場所を訪れたところ、そこになんと建物が建っていたのだ。看板には、「アグロー雑貨店」Agloe General Storeとある。店主に訊いたところ、アグローの店名は、エッソ Essoのガソリンスタンドで購入した地図にここがアグローと書いてあったのでそれを使ったまで、という回答。その地図は、もちろんジェネラル社が制作したものだった。なんとアグローという地名が、地図をもとにして出来ていたのだ。ランド・マクナリー社は、「実在の」地名を自社の地図に記載しただけ、と抗弁すれば足り、もちろんジェネラル社は敗訴した。

このような話を聞くと、アメリカだなあ、と思う。自社の地図が違法コピーされて困っている場合、もし、これが日本の会社だったら、裁判でだめなら、行政に苦情を申し立てるか、国会議員に嘆願するかして、著作権法違反の取締を強化してもらう、など、あくまでも「お上」に頼ることで解決しようとするだろう。正確性が命の地図制作会社が、架空の地名を自社の地図に忍び込ませることによって違法コピー問題を解決しようとする、という突飛な発想は、それが上手い解決策かどうかはともかく、日本ではなかなか出てこないだろう。まさに、実用第一、自助努力第一、良くも悪くも、アメリカだなあ。

さらに、雑貨店が一軒あるだけの場所が「地名」を持てる、という点も、また何とも「アメリカ的」だ。日本で同様のことがあった場合、そのアグロー雑貨店が一軒あったからといって、その場所の地名がアグローだとはなりそうもない。日本での地名は、詳しくは知らないがおそらく、地方自治体、国土地理院、総務省など複数の行政機関による、何らかの法的あるいは行政的な手続きを経て初めて決定されるのではないだろうか。少なくとも、地図に書いてあったという理由だけでつけられた雑貨店の看板を根拠に、それが地名だと裁判所が判断するとは考えにくい。上記と同じ裁判が、日本で行われたとしたら、アグローは、実際の「地名」とは正式には認められず、したがって、ランド・マクナリー社による、「『実在の』地名を記載しただけ」という抗弁は根拠を失い、裁判の結果は実際のものと逆になるかもしれない。民間主導で地名が決まってしまう。アメリカだなあ。

その後、アグロー雑貨店は店を閉め、建物は廃墟と化し、アグローという町は消滅した。

時は下って、2014年。今や地図と言えば、グーグルマップGoogle Maps。2014年2月、アグローの話を知ったあるブロガーが、すかさずグーグルマップにAgloeと入力してみた。即座に、赤いピンが、古い地図と全く同じ場所に立った。あのグーグル社もジェネラル社の地図を違法コピーしていた?しかし、さすがにグーグル社は一枚上手だった。別のブロガーが、その1か月後にグーグルマップで同じことをしたところ、もう赤いピンは立たなかった。グーグル社は持ち前の検索力によって、上記2014年2月のブログを検出、自社が、80年前にランド・マクナリー社が提訴されたのと同じ(全く同じ!)裁判に巻き込まれることを回避すべく、Agloeを永遠に葬り去ったようだ。

と、思っていた。ところが、今日2014年10月25日、念のため、グーグルマップにAgloeと入力してみた。なんと、赤いピンが立つではないか!しかも、元の位置から約2キロほど南の地点に。誰かが、このアグローの話をもとに、そこにアグローを再び「作った」?この話題を利用して僻地の山村で村興し?Google社のちょっとしたジョーク?真相は知る由もない。とりあえず、アメリカだなあ。

応援団

ここ1~2週間ほど、急に、いくつかの大学の応援歌のふしが頭の中に去来し、応援団の応援風景をYouTubeなどで見たくなる日々が続いている。なぜこんなことが自分の中で起きているのだろうか。

実は、大学1年生の秋までの約半年間だけ、応援部に在籍していたことがある。ただし、大きな身振り、手振り、声で応援を先導するリーダー班ではなくて、後方で応援歌などを伴奏するバンド班だ。入部の目的は、楽器を吹きたかったから。本格的な管弦楽部や吹奏楽部だと、さすがに、高校までに楽器の経験がないと無理なのに対して、応援部のバンド班はほとんどが楽器初心者だったから、敷居が低かった。僕は、トランペットを担当させてもらえることになり、先輩からの指導を受けて張り切って練習に励んでいた。

応援部では、先輩・後輩それにOBを含めた上下関係が極めて厳格に守ることを強制される。それは、特に、リーダー班において著しい。リーダー班には、同期で3人入部したのだが、練習のときや、応援本番(野球の応援が活動の柱だった)の前後には、先輩部員たちからの罵声・怒声が絶え間なく続く。飲み会ともなると、先輩からの酒は全て飲み干さなければならないのは当たり前で、その上、泥酔状態で皆の前で「芸」をすることを強要される。バンド班にはこのような極端な絶対服従関係はなく、常識的な上下関係があったのみだったので、僕はいつも、自分にはない驚異的な耐久力をもつこの3人の同期たちを驚嘆の目で見ていた。

秋の野球シーズンの応援をしている頃から、眼前でプレーしている野球選手たちを応援しているうちに、自分でもプレーしたい、という気持ちが昂じてきて、秋のシーズンが終わった11月、応援部を退部して準硬式野球部に入部した。楽器と違って、野球は中学・高校の6年間の経験があるので、入部は歓迎され、身体に馴染みのある運動をする心地よさを満喫できハッピーだった。準硬式野球部での、試合や練習のことは、今でも折に触れて懐かしく思い出すことがあるし、先輩後輩、OBそれに他校の選手たちとの間で育まれた人間関係は貴重な財産となっている。この時の選択は間違っていなかったし、辞めた応援部のことはきれいさっぱり頭から消えた。

と、今まで単純にそう思っていた。

が、どうやら、少し違っていたようだ。準硬式野球部で野球できたことは、間違いなく良い経験だったし、もちろん転部したことに後悔はしていない。しかし、一方で、辞めた応援部のことが完全に心から離れてしまったわけではなかったようだ。ここ最近、不意に応援団に惹かれるようになったのはなぜか考えてみて、そう思った。

運動部の部員たちは、すべて、自分たちが試合で勝ちたいから、つまり、自分自身のために活動している。これに対して、応援部は、自分たち以外の人たちが勝つことを唯一の目標として活動する。特に、リーダー班の部員たちは、その為だけに、厳しい練習や理不尽な上下関係などを一生懸命に消化しようとする。ただ単に、他の運動選手たちを応援するためだけに、修行や稽古とでも言っても良いような努力に励むのだ。

応援と一言で言っても、それをうまくやるのは難しい。プレーをする選手たちを奮い立たせたり、観客席の学生たちをうまくリードするためには、迫力ある身のこなしや発声が必要なのはもちろん、部員たちを一つにまとめ上げる統率力や、勝ち目がないときにこそ、元気を失わずに最後まで応援をリードし続ける精神的なタフさも必要とされる。このような技量を身に着けるには、特別な方法が必要になる。延々と続く拍手の練習、運動部以上に厳しい長距離ランニング、4年生には絶対服従の厳格な上下関係。このような様々な理不尽にさらされるリーダー班の部員たちは、きっと、なぜこんなことをやっているのだろう、と何度も自問することを余儀なくされる。

この、何で自分は応援部にいるのか、を考えることこそが、応援部で最も大切な「活動」の一つなのではないだろうか。どんな状況でも選手たちと観客を鼓舞し励ます迫力ある手さばきや身のこなしや発声はもちろん、試合展開に応じて臨機応変に応援プログラムを組み立て、団員を動かす能力などはそう簡単に得られるものではない。4年生に服従する3年間に、「なぜ自分はこんな目に合ってまで応援するのか?」「そもそも、応援をすることとはどういう事なのか?」などの自問を何度も何度も繰り返し、考え抜くことによって、初めて身に着く技量なのだと思う。理不尽さの只中に放り込まれて、「なぜ」の自問を繰り返すことで、応援に必要な能力を身に着けていく、というプロセスは、優れた教育プログラムなのだろう。

一方、試合で自分自身の最高のプレーをすることを目指す運動部の選手たちは、自分を鍛えることが活動の第一義であり、応援部のような、他人を励ましたり、他人をまとめたり、といった活動に比べると、努力の方向ははるかに単純だ。大学1年生の秋に、僕は、このような「複雑な努力」「考え自問する努力」を要する応援部から、自分のことだけを考えて「単純な努力」をすれば済むプレーヤーの世界の方に魅力を感じて転部した。当時の僕には、残念ながら、応援の持つ深さや、理不尽にしか見えなかった応援部独特の因襲の意味を理解できるほどの思慮がなかった。そのことが、気持ちのどこかに引っかかっていたのだろう。

最近になって、応援のことが気になりだしたのは、「応援というものを、ちゃんと考えてみたら?今なら少しは分かるのでは?」という自分自身からの促しなのかもしれない、と思い、考えてみた。その結果が、上記のようなことだ。これは、応援部で4年間を過ごした部員たちなら、二十歳そこそこですでに判っていたことなのだろう。このようなことを考えながら、いろいろな大学の応援風景をウェブサイトで見ていると、どれも素晴らしいと思う。そして、ふと安心する。このような活動に貴重な大学4年間を投じる覚悟をするような若者がいる限り、日本の将来は安泰だ、と。

コロラド州フォーティナーズ登山の旅 (その5)

9月3日(水曜日) コロラド州フォーティナーズの旅5日目
Mt. Yale (14,196ft. = 4,326m)

Mt. Yaleは、ロッキー山脈の中でも一際高い山々がを擁するサワッチ山脈(Sawatch Range)に含まれる。サワッチ山脈には、フォーティナーズ最高峰のMt. Elbert(14,440 ft。=4,401 m)をはじめ、大学名をその名に冠する山々Collegiate Peaksや、アメリカン・インディアンの部族名がついた山々など、多数のフォーティナーズが峰を連ねている。

Mt. Yaleへのトレイルは、往復9.5マイル(15.3キロ)と、やや長めで累積高低差も1,310メートルとかなりある。スタートは朝7時5分、スタート時の気温は5℃。前半部分は、針葉樹林の中の比較的なだらかなトレイルが続く。
Mt. Yale-1
前半は森の中の比較的緩やかなトレイルを行く

その後、森林限界を超えたあたから、足場が悪く、また、急になる。頂上までの最後の2.5キロが特に難しい、と14ers.comにはある。ただし、整備はよく行き届いており、所々に石で階段がしつらえられてさえいる。
P9030200_convert_20140914042520.jpg
森林限界を超えたあたりからトレイルは難しくなってくる

頂上までの最後の標高差約200メートルは、さらに急になり、トレッキング・ポールをリュックに仕舞って、手を使って岩場をよじ登った。
Mt. Yale-3
頂上までもう一息

頂上からは、Mt. Harvardなど、周囲のCollegiate Peaksが目の高さに見えた。絶景だ。
P9030241_convert_20140914043829.jpg
頂上から北にMt. Harvard(左)とMt. Columbia(右)を望む

帰りの下りは、いつものように、気持ちよくトレイル・ランを楽しみ、6時間8分で全行程を終えた。

「里山資本主義」 藻谷浩介・NHK広島取材班 著

角川oneテーマ21 2013年7月10日初版発行
2014年8月16日読了

「里山資本主義」という言葉は、共著者による造語で、概ね以下のような意味あいだ。
1. 水、食料、燃料の一部をお金をできるだけかけずに得る
2. お金を介さない価値の交換を重視する
3. 自然から得られるメリットを追求する
4. 人が少なく自然が多い田舎のほうが実践しやすい
5. 人の価値は、所得の多寡ではなく、「かけがえのない人」と思われるかどうかによる

本書では、そのような里山資本主義的な生き方を、現代社会を席巻している「マネー資本主義」の弊害を柔らげるための保険として実践することを薦める。マネー資本主義は本書では概ね以下のようなことを意味するようだ。
1. 金銭価値(稼いだ金額)で人を評価する
2. 何でもお金で買おうとする傾向
3. 貨幣流通量を増やすことを景気対策の柱にする
4. お金を増やすことそのものを目的とするマネーゲームにつながりやすい

さて、自分の今の生活を振り返ると、まさに、マネー資本主義にどっぷりと浸かっているのがわかる。しかし、マネー資本主義とは、我々が暮らす資本主義社会の悪い面だけを列挙したようなもので、今の世の中に生まれた以上、マネー資本主義的な悪影響を受けることは避けられない。なので、本書で紹介されている里山での麗しい成功例も、確かに物語としては面白いのだけども、今一つ、自分でもやってみようという気にはならない。あまりに自分の実状からかけ離れているためだろうか。著者たちによるマネー資本主義への攻撃も、なかなかきつくて、何か自分が、とてもいけないことをやっている、と言われているような気持ちになってくる。

いい事を言っているんだけど、何と無く読後感がすっきりしない、といった感じを懐いていた時に、たまたま観たのが、NHKの「夜も朝イチ」-家庭内別居特集-(再放送)だった。

その中で、「女性100人に訊いた、夫から言われると「心が離れる」言葉は?」というアンケートの結果が示されていた。多かった回答から順に、
「俺が食わせてやっている」(51%)
「ヒマでしょ」(22%)
「子どものことは任せた」(13%)
「で、結論は?」(13%)
となったという。いずれも、僕にも身に覚えがあり、冷や汗ものだ。

そして気が付いた。これらの言葉は、まさにマネー資本主義的、つまり金銭価値中心、効率至上主義の思考パターンから発せられるようだ。つまり、(お金を稼ぐ人が稼がない人より偉いのだから)「俺がお前を食わせてやっている」、(お金を稼ぐ活動をしていないのだから)「ヒマでしょ」、(分業したほうが効率的なのだから)「子どものことは任せた」、(業務報告をする時に自分がいつも上司に言われているように)「で、結論は?」というような思考経路なのだろう。

仕事をしている時はマネー資本主義的な思考パターンはむしろ必要なスキルだろう。でも、家へ帰ってきたあとは、里山資本主義的な発想も取り入れて、金銭に換算できない価値に目を向けることで、心が少し柔らかくなるのではないだろうか。なにも、田舎に引っ越すことはない。職場からの帰宅途上で、本書で紹介されているエピソードの中から、例えば、自分たちの食事用に野菜を作っている田舎の老夫婦が、それまで捨てるしかなかった余った野菜を地元の介護ケア施設に提供することで小さな生き甲斐を感じる、といった話でも思い出すと、職場で真面目に仕事をするあまりに釣り上がってしまった目尻も、帰宅前には少し下がっているかもしれない。

里山資本主義は家庭平和の秘訣。

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プロフィール

内之助

Author:内之助
マラソンは、2008年12月のホノルル・マラソンをもって、全米全州(50州+DC)でフル・マラソンを夫婦で完走。今は、トレイルでのウルトラ・マラソンを楽しんでいる。
音楽は、中学校1年生の時に、FMで偶然耳にしたモーツァルトの喜遊曲がきっかけでクラシックにのめり込む。
読書は、ノンフィクション中心に、同じ著者のものをまとめて読む傾向あり。小林秀雄、吉田秀和、カール・ヒルティ、スティーヴン・ジェイ・グールド、内田樹、茂木健一郎など。
仕事はサラリーマン。1995年以来ニューヨーク市郊外在住。

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